安楽死と日本の民族性 同調圧力に苦しめられるのは誰?

 

日本は国民皆保険ですので、安楽死を望むような病気がある人は、医者にとってはお客様なんです。生かし続けることでお金が入る。

 

 

医療会が日本人の生命倫理を牛耳っているのに、安楽死なんて認められるわけがない。

 

 

NIPTもそうですね。障害児が産まれなくては医療者は困るのです。

 

 

でも、障害があれば、本人も家族も生活の質は落ちるわけです。困るのは、本人と家族なのです。

 

 

よく、安楽死反対の意見を言う人は日本人の民族性の話が出できますね。

日本人の同調圧力によって、当事者が望んでいないのに安楽死させられるのではないか。日本の民族性に安楽死は合わないというもの。

 

障害や老衰で心身共に苦痛だから、安楽死を望むわけです。

 

家族だって、苦しむ人を介助するのがつらいのです。

これは、家族の介護をしていたので、よくわかります。知的水準が低くて、安楽死の自己決定が不十分だが、心身の苦痛の度合いが大きい場合は、家族による決定も認めるべきだと思います。

 

本人と家族が検討を重ねながら、安楽死に向かうことは同調圧力なのでしょうか?

 

医師会が安楽死の基準を作るのでは無く、

個人又は家族のレベルで個別にカウンセリングを行い、苦痛の度合いを審議して安楽死を決定できるようになればいいな。

命は、医療者のものではないんです。

 

 

 

医療職として働いていますので、死を望む人を目にします。

安楽死を望む人は、確実に日本にいることは事実なのです。

個人の自律が確立されていない日本で安楽死が早いのではなく、日本にあった、生命倫理を議論して安楽死の法律を作ることが必要なんです。

 

安楽死を望む人は

死が間近だから望むわけではありません。

苦痛だから、安楽死を望むのです。

 

 

しかし、安楽死反対派の同調圧力は凄まじい物があります。

安楽死を望めば、障害者団体から、次は自分も安楽死をさせられるかもしれないから、安楽死は反対だと言われる。 

まるで、お前は他人の命を脅かす殺人犯とでも言っているみたい。

死を望む人の心を抉ります。

自分の死に、あなたは関係ないでしょ?

それこそ、同調圧力ですよ!!

安楽死反対派の同調圧力によって、安楽死したいと言えず、苦痛に耐えることになります。

自殺を選ぶ人もいるでしょう。

そういう、安楽死反対派の同調圧力の方が、よっぽど当事者を苦しめています。

 

 

尊厳死安楽死の基準は誰かが決めているはずですが、どのように考えているのでしょう?死期が間近でないといけないなんて誰が決めているのでしょうか?

 

 

死期が間近であるとする理由は→ もう、手術とかしないから、大きな医療点数も取れないし、延命治療で何年も稼げる身体でもない。苦しんでるから、死なせてあげてもいいかもしれないけど、まだ議論中っていうことにしとこうよ。当分の間、死ぬまで医療費を搾り取ろう!

ということだったら怖いですね。

 

現場で患者と向き合う医療者はそう思っていないかもしれませんが、

医療システムとして患者を捉える役職の人たちは、

患者を医療点数化して考え、生活の質を無視して、医療にお金が入る法律を作ることは充分ありえます。

 

自分の命は、自分のものです。

医療者のものでも、法律家のものでも、障害者団体のものでもない。

どんなふうに終わりを迎えたいのか、

一人一人が考えることは、

とっても大切なことだと思うのです。