「あずみの里」逆転無罪 司法に関わる職員は介護実習を義務化して!

「あずみの里」逆転無罪 

 

特別養護老人ホームの入所者Kさん(当時85)がドーナツを喉に詰まらせて、死亡した。

 

検察は、Kさんがドーナツを喉に詰まらせたのが原因で死亡したとし、山口さんが注視義務を怠ったとして(訴因A)起訴した。

 

1週間ほど前に介護職員の判断でおやつをゼリー系に変更していたことをとらえ、山口さんがそれを知らずにドーナツを配ったことは、おやつの形態変更確認の義務違反だと主張(訴因B)した。

 

そして、山口さんが介護職員の記録を遡っておやつの形態が変更になっていることを確認する義務を怠ったなどとして、検察の求刑通り罰金20万円の有罪とした。

 

これに対し東京高裁は、一審は窒息の可能性を抽象的、包括的にとらえ、予見可能性を広げすぎているとし、Kさんがドーナツで窒息・死亡することへの「具体的な予見可能性を検討すべき」と指摘。「原判決はこの点を看過している」と一審判決を批判した。

 

「本件ドーナツでKさんが窒息する危険性ないしこれによる死亡の結果の予見可能性は相当に低かった」と結論づけた。

 

 

 

特別養護老人ホームに入所している方なので、要介護3より重い方だと思われます。

 

要介護3以上の方の食事介助がどう言うものか、どんな環境でやっているのか、現場の状況を司法の方は知っているのでしょうか?

 

司法が書類の状況だけを見て判断しているのであれば、AIの方がより的確に判断できると思う。

 

 

介護の仕事をした時、どれほど大変なのか。

司法に関わる人には、体験して欲しい。

実習を義務化してもいいと思う。

予測できない入所者の動きや

排泄介助の匂い

入所者のコロコロ変わる感情のなだめ方、

介護現場は常に臨機応変に対処しないといけないことばかり。

それを、少ない人員配置でこなすんだ。

 

給料はあまり良くはなく、命を扱う責任は重い。

 

障害を持った人たちの世話がどれだけ大変か。

 

転倒や誤嚥は老化の一貫です。

身体が衰えれば、誰にでも起こり得るのです。

人は老化を受け入れながら、命を繋いできました。

これほど、老人を管理することに人的労力を費やした時代はありません。

老人を管理することで、平均寿命が伸びましたが、若い世代も老人世代も幸せかと問われれば、疑わしいものがあります。

 

司法が責任論を追求すればするほど、不幸になる人が大勢いるわけです。

 

介助者が予測できるか、出来ないかが争点ではありません。

責任論はやめてください。   

介護する人がいなくなります。

 

人生でゼロリスクはありえません。

障害を持てば、体のコントロールができなくなるのです。リスクがあがるのです。それを受け入れて、生きるのです。その結果、亡くなることがあっても、それは、自然なことです。

 

介護現場の人材不足は深刻です。

現に、介護現場では高い能力が求められるため、外国人労働者を入れています。

 

患者様の名前プレートは日本語とローマ字表記で作っています。

 

コロナの影響で日本人の失業者は多いですが、常に人材不足の介護に回せばいいかというと、そんなことはできません。体力、忍耐力、コミュニケーションスキル…求められるものが多いのです。施設側だって、訴えられるリスクがありますから、人材を選びます。

 

能力が高くて若い外国人労働者の方が仕事を任せられる場合があります。福祉が雇用の受け皿にはならないんです。責任論から業務上過失致死で訴えられるリスクがあるなら、生活保護を受けた方がいいと考える人はいるでしょう。

 

医療は責任論があって当然だと思いますが、同じように福祉まで責任論を追求してはいけません。

福祉は障害者の生活をサポートをする仕事だと思います。

管理しているわけではありません。

障害者の自己判断の元で起きた事故については自己責任だと、ある程度割り切ることが必要なんじゃないでしょうか?

障害者自身も最後まで自我を無くさずに生きることができる。

 

管理ではなく、サポートをするのであれば、ある程度、能力の低い方でも仕事ができます。障害者雇用も広がるかもしれません。

 

 

ほとんどの老人は人とコミュニケーションを取りたいんです。

ただ人と喋りたいんです。

 

管理されたいわけではありません。

 

 

今の日本では

司法も医療も知識のみが先行してしまい、人の生活から離れてしまったように感じます。高い能力が求められる仕事ですので、子供の頃から勉強しかしてこなかったような人材が多いのではないでしょうか?

理想を追求し、自分の理想こそが正しいと思うのは自由ですが、それを人に押し付けるのなら、不幸になるのは私たちです。

一人一人が生きること、死ぬことの意義を考えて欲しいです。

司法も正しいとは限らない。

 

ただ、生かすことに重点が置かれている司法や医療制度…。NIPTや安楽死は日本人には時期尚早と日本人がみんな思っているかのように語る医師や司法に関わる人たち。

 

その影で、心身の病気を理由に自殺する多くの人たちがいる。その人たちの声は、世に出ることはあまりない。自殺は罪で隠すべきものとして扱われ、消えていってしまう。

 

 

人の生活がわからない人が司法に携わるのなら、AIの方がいいんじゃないかな?