福祉の人材不足32万人 でも、日本で介護福祉士を目ざさない方がいい
厚生労働省の試算によると
2025年度に介護人材を今より32万人増やす必要があります。
介護福祉士はかつて15万人受験していた時期がありましたが、2020年度は約8万4000人でした。
国は団塊の世代(1947〜49年生まれ)が後期高齢者となる25年度には、介護福祉士が大幅に不足する試算を立てています。
介護福祉士の資格がなくても介護の仕事はできますが、今年度から加算制度が変わり、介護福祉士の資格があれば、加算が多くとれるようになりました。
これとは別に、IT人材は経済産業省の試算によると2030年に最大約79万人不足すると試算されています。
技術者の育成は国力に直結する重大課題です。ITの活用で産業競争力の強化や業務の効率化を進めようとしなければ、経済規模はますます縮小します。
分配、分配というけれども、分配の原資となる経済規模が縮小すれば、福祉も立ち行きません。
日本の潜在成長率は0%です。
少子化によって、労働力の元となる人口を増やすことは難しいため、労働生産性を高められるかが大きな鍵になりますが、
日本はこれも低い状態です。
総務省によるとAI(人工知能)やIOTの導入企業は、20年度の時点で1割程度に留まっています。
人材が不足する福祉とIT業界ですが、
日本の労働人口は急に増えませんので、シビアな分配が必要になるでしょう。
福祉はお金を生み出しません。借金を増やすだけですが、介護による離職者を出さない為には、通所施設や入所施設が必要です。
介護者が負担にならないように、老人や障害者を入所できる施設を増やす必要はありますが、
人員配置基準を減らし、施設職員の労働責任を今よりも下げて、生きるリスクを施設を利用している本人も負いながら、生活する環境が必要です。
今の福祉は一人一人にお金がかかりすぎています。逆に福祉にアクセスできなかった人は、放置され過ぎます。
過度に干渉せず、生活をサポートする介護が必要だと思います。
また福祉施設で働く職員として、若者が介護業界に進むのは、あまりお勧めできないと個人的には思います。
介護や医療は点数性です。利用者が受けるサービスに対して、得られる点数が決まっていますので、給料も急に跳ね上がることはありません。
役職も、年功序列ですので、働きやすい職場であれば役職にはつけませんし、過酷な労働環境であれば、給料は低いのに役職つけられて責任を負わされるなんてこともあります。
一方間違えれば、業務上過失致死で訴えられる環境です。
アクシデントレポートを書くのも精神を擦り減らします。
嚥下に障害があれば、ご飯を食べるだけでリスクです。ある意味、嚥下に問題のある人に対して食事介助するリスクは、心臓の手術のリスクよりも高い場合だってあるんです。
でも、なぜか医療事故より介護の事故の方が有罪になることが多い。
これは、本当におかしいと思います。
臓器の位置や動きはある程度予想できます。
もしかしたら、近い将来、AIが外科手術をとって変わるかもしれません。
でも、脳や身体に障害のある人の動きや感情を読み取り、介護することは当分はAIでは難しいでしょう。予想できないことが多いからです。
さらに、身体へのダメージもあります。腰痛で辞めざる負えなくなる人もいます。
精神的なダメージもあります。
職員どうしのいざこざ、障害者の理不尽な暴言などは日常茶飯事です。受け流すスキルが必要です。
そして、心身に障害が出れば働けません。
大抵の場合、退職です。
退職後に残されたスキルを活かせる職場は少ないです。
若者のみなさん!
ぜひ、IT業界に進んで、日本の経済を良くしてください。
それでも、福祉に進みたい方は、外国語を勉強して下さい。
おそらく、日本で働いても給料は上がりません。
責任は重く、リスクの方が大きいです。
でも、日本の介護技術は高いですから、技術を磨く為に働くことはいいと思います。
そして、語学と技術を習得したら海外に渡るのがいいと思います。
日本の老人、障害者は救われませんが…。
自分の子供も含むて…。
日本は、豊かな福祉財源で外国人労働者を雇ってきましたが、これからは逆に海外に労働者が流出していきます。
実際、海外に渡っている友人もいます。
海外の福祉事業所とコネクションができれば、人材派遣会社も作れるかもしれません。
介護技術を教える学校を運営することもできるかもしれません。
ヨーロッパでもアジアでも高齢化は深刻です。
ビジネスとして、大きな成功を収めることができるかもしれません。
難しいことが多い世の中ですが、介護福祉士を目指すなら海外です!!
「あずみの里」逆転無罪 司法に関わる職員は介護実習を義務化して!
「あずみの里」逆転無罪
特別養護老人ホームの入所者Kさん(当時85)がドーナツを喉に詰まらせて、死亡した。
検察は、Kさんがドーナツを喉に詰まらせたのが原因で死亡したとし、山口さんが注視義務を怠ったとして(訴因A)起訴した。
1週間ほど前に介護職員の判断でおやつをゼリー系に変更していたことをとらえ、山口さんがそれを知らずにドーナツを配ったことは、おやつの形態変更確認の義務違反だと主張(訴因B)した。
そして、山口さんが介護職員の記録を遡っておやつの形態が変更になっていることを確認する義務を怠ったなどとして、検察の求刑通り罰金20万円の有罪とした。
これに対し東京高裁は、一審は窒息の可能性を抽象的、包括的にとらえ、予見可能性を広げすぎているとし、Kさんがドーナツで窒息・死亡することへの「具体的な予見可能性を検討すべき」と指摘。「原判決はこの点を看過している」と一審判決を批判した。
「本件ドーナツでKさんが窒息する危険性ないしこれによる死亡の結果の予見可能性は相当に低かった」と結論づけた。
特別養護老人ホームに入所している方なので、要介護3より重い方だと思われます。
要介護3以上の方の食事介助がどう言うものか、どんな環境でやっているのか、現場の状況を司法の方は知っているのでしょうか?
司法が書類の状況だけを見て判断しているのであれば、AIの方がより的確に判断できると思う。
介護の仕事をした時、どれほど大変なのか。
司法に関わる人には、体験して欲しい。
実習を義務化してもいいと思う。
予測できない入所者の動きや
排泄介助の匂い
入所者のコロコロ変わる感情のなだめ方、
介護現場は常に臨機応変に対処しないといけないことばかり。
それを、少ない人員配置でこなすんだ。
給料はあまり良くはなく、命を扱う責任は重い。
障害を持った人たちの世話がどれだけ大変か。
転倒や誤嚥は老化の一貫です。
身体が衰えれば、誰にでも起こり得るのです。
人は老化を受け入れながら、命を繋いできました。
これほど、老人を管理することに人的労力を費やした時代はありません。
老人を管理することで、平均寿命が伸びましたが、若い世代も老人世代も幸せかと問われれば、疑わしいものがあります。
司法が責任論を追求すればするほど、不幸になる人が大勢いるわけです。
介助者が予測できるか、出来ないかが争点ではありません。
責任論はやめてください。
介護する人がいなくなります。
人生でゼロリスクはありえません。
障害を持てば、体のコントロールができなくなるのです。リスクがあがるのです。それを受け入れて、生きるのです。その結果、亡くなることがあっても、それは、自然なことです。
介護現場の人材不足は深刻です。
現に、介護現場では高い能力が求められるため、外国人労働者を入れています。
患者様の名前プレートは日本語とローマ字表記で作っています。
コロナの影響で日本人の失業者は多いですが、常に人材不足の介護に回せばいいかというと、そんなことはできません。体力、忍耐力、コミュニケーションスキル…求められるものが多いのです。施設側だって、訴えられるリスクがありますから、人材を選びます。
能力が高くて若い外国人労働者の方が仕事を任せられる場合があります。福祉が雇用の受け皿にはならないんです。責任論から業務上過失致死で訴えられるリスクがあるなら、生活保護を受けた方がいいと考える人はいるでしょう。
医療は責任論があって当然だと思いますが、同じように福祉まで責任論を追求してはいけません。
福祉は障害者の生活をサポートをする仕事だと思います。
管理しているわけではありません。
障害者の自己判断の元で起きた事故については自己責任だと、ある程度割り切ることが必要なんじゃないでしょうか?
障害者自身も最後まで自我を無くさずに生きることができる。
管理ではなく、サポートをするのであれば、ある程度、能力の低い方でも仕事ができます。障害者雇用も広がるかもしれません。
ほとんどの老人は人とコミュニケーションを取りたいんです。
ただ人と喋りたいんです。
管理されたいわけではありません。
今の日本では
司法も医療も知識のみが先行してしまい、人の生活から離れてしまったように感じます。高い能力が求められる仕事ですので、子供の頃から勉強しかしてこなかったような人材が多いのではないでしょうか?
理想を追求し、自分の理想こそが正しいと思うのは自由ですが、それを人に押し付けるのなら、不幸になるのは私たちです。
一人一人が生きること、死ぬことの意義を考えて欲しいです。
司法も正しいとは限らない。
ただ、生かすことに重点が置かれている司法や医療制度…。NIPTや安楽死は日本人には時期尚早と日本人がみんな思っているかのように語る医師や司法に関わる人たち。
その影で、心身の病気を理由に自殺する多くの人たちがいる。その人たちの声は、世に出ることはあまりない。自殺は罪で隠すべきものとして扱われ、消えていってしまう。
人の生活がわからない人が司法に携わるのなら、AIの方がいいんじゃないかな?
私はここに来るはずじゃなかった 障害があれば自己決定権は奪われていく
安楽死反対派の主張
日本人には、自律の精神がない
だから、同調圧力に負けてしまい、自己決定できない。
いえ、私は違うと思います。
日本人は障害を持つと自己決定権が奪われるのです。
自分で決定する力がないわけではありません。
施設で働いていると
「私、ここに来るつもりはなかったの」
という入所者様によく会います。
普通に暮らしていた老人が
倒れて病院に行き、
施設へそのまま入所
そのまま、施設か病院の往来→亡くなる
と言う方が多いです。
この先、社会福祉費用は削減されるでしょうから、自分が老人になった時に、施設に入れる保証はありません。
だから、スタッフに見守られながら、3食おやつがついて、週に2回お風呂に入れて、空調の効いた部屋で過ごせることは幸せかもしれませんが。
安全は保証されますが、自分で物を購入したり、行きたい場所にも行けなくなります。
寝たい時間に寝られず、
勝手に決められた席に座らせられ、
自分とそりがあわない入所者と一日中過ごすことになるかもしれません。
延命を希望していなくても、施設や家族の意見が優先されることもあります。
認知機能が落ちて責任能力が無くなった時、
家族(又は後見人)が、その人の代わりに決定権を持ちます。
「私、ここに来るはずなかった。」
元気な時は
自己決定権が無くなるとは思ってもみませんが、
意外とあっという間の出来事なのかもしれません。
どんな風に生きたいのか、元気なうちに考える必要があると思います。
安楽死について考える時、自己決定をどのように判断するのかな。
障害者の自己決定権が無い日本では、安楽死を認めないことの方が、簡単なようですね。
誰かの都合のいいように、命が動かされている気がするのです。
安楽死と日本の民族性 同調圧力に苦しめられるのは誰?
日本は国民皆保険ですので、安楽死を望むような病気がある人は、医者にとってはお客様なんです。生かし続けることでお金が入る。
医療会が日本人の生命倫理を牛耳っているのに、安楽死なんて認められるわけがない。
NIPTもそうですね。障害児が産まれなくては医療者は困るのです。
でも、障害があれば、本人も家族も生活の質は落ちるわけです。困るのは、本人と家族なのです。
よく、安楽死反対の意見を言う人は日本人の民族性の話が出できますね。
日本人の同調圧力によって、当事者が望んでいないのに安楽死させられるのではないか。日本の民族性に安楽死は合わないというもの。
障害や老衰で心身共に苦痛だから、安楽死を望むわけです。
家族だって、苦しむ人を介助するのがつらいのです。
これは、家族の介護をしていたので、よくわかります。知的水準が低くて、安楽死の自己決定が不十分だが、心身の苦痛の度合いが大きい場合は、家族による決定も認めるべきだと思います。
本人と家族が検討を重ねながら、安楽死に向かうことは同調圧力なのでしょうか?
医師会が安楽死の基準を作るのでは無く、
個人又は家族のレベルで個別にカウンセリングを行い、苦痛の度合いを審議して安楽死を決定できるようになればいいな。
命は、医療者のものではないんです。
医療職として働いていますので、死を望む人を目にします。
安楽死を望む人は、確実に日本にいることは事実なのです。
個人の自律が確立されていない日本で安楽死が早いのではなく、日本にあった、生命倫理を議論して安楽死の法律を作ることが必要なんです。
安楽死を望む人は
死が間近だから望むわけではありません。
苦痛だから、安楽死を望むのです。
安楽死を望めば、障害者団体から、次は自分も安楽死をさせられるかもしれないから、安楽死は反対だと言われる。
まるで、お前は他人の命を脅かす殺人犯とでも言っているみたい。
死を望む人の心を抉ります。
自分の死に、あなたは関係ないでしょ?
それこそ、同調圧力ですよ!!
安楽死反対派の同調圧力によって、安楽死したいと言えず、苦痛に耐えることになります。
自殺を選ぶ人もいるでしょう。
そういう、安楽死反対派の同調圧力の方が、よっぽど当事者を苦しめています。
尊厳死や安楽死の基準は誰かが決めているはずですが、どのように考えているのでしょう?死期が間近でないといけないなんて誰が決めているのでしょうか?
死期が間近であるとする理由は→ もう、手術とかしないから、大きな医療点数も取れないし、延命治療で何年も稼げる身体でもない。苦しんでるから、死なせてあげてもいいかもしれないけど、まだ議論中っていうことにしとこうよ。当分の間、死ぬまで医療費を搾り取ろう!
ということだったら怖いですね。
現場で患者と向き合う医療者はそう思っていないかもしれませんが、
医療システムとして患者を捉える役職の人たちは、
患者を医療点数化して考え、生活の質を無視して、医療にお金が入る法律を作ることは充分ありえます。
自分の命は、自分のものです。
医療者のものでも、法律家のものでも、障害者団体のものでもない。
どんなふうに終わりを迎えたいのか、
一人一人が考えることは、
とっても大切なことだと思うのです。
ニュージーランドで安楽死合法化
日本では、消極的安楽死ですら、議論中という状態ですから、積極的安楽死となると、さらに先の議論、いや、議論すらなされないかもしれませんね。
私の患者様にも、死を望む人がたくさんいます。
望む人たちが議論に入れていないのです。
では、日本で国民投票はできないのでしょうか?
ニュージーランドの人口は500万人ほどで、東京都の半分にも満たない人数です。
日本で行うとすれば、
1.自治体レベルで国民投票をする制度を作り、安楽死制度の投票を行う。
2.安楽死団体の設立。
3.ネットで私的に投票を行い、世論を動かす。
どれも、最終的に医者が安楽死を認めなければならないので、難しそうですが、
私は、安楽死は医者が中心になって、検討していく事案ではないと思っています。
なぜなら、安楽死は苦痛を取り除く行為であり、死期が近いからではないのです。疾患についての検討ではなくて、生活の質について検討すべきだからです。
安楽死の犬から思うこと こんな風に生きられないだろうか?
安楽死直前の愛犬に最後の雪遊びをプレゼント「穏やかで平和的な別れを」(米)<動画あり>
https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20211003_819113/?white=on
がんと闘ってきた愛犬が回復の見込みは無く、安楽死のほかに打つ手は無かった。悲しい決断をした飼い主は、雪が大好きだったという愛犬のため最後に雪遊びをさせてあげたいと思い行動に移した。この飼い主のアイディアに地域のスケート場が協力し、たくさんの氷を削って雪に見立てることで犬は冷たい雪を味わって最後の時を迎えたという。
日本人も、いつか犬のマギーちゃんみたいに生きられないだろうか?
病院で働いた後、すごく思うの。
コロナという理由もあるけど、もともと面会がある人はめったにいない。
家族にも友人にも会えず、
好きな食べ物も食べられず、
行きたい場所にも行けない。
最期を迎えるためだけに、ベッドで寝ていたくないよね。
安楽死という期限があるから、死に向けて生を充実させてあげたいという思い。
希望を叶えて最期を迎える幸せ。
犬だから、これじゃいやだとか、もっと生きたかったとか、本当の所、どうかわらかないけど…
私は、マギーちゃんが羨ましいし、飼い主は愛情をもって安楽死させたのだ。
子供の意思は、わからない。
知的障害が重いかもしれないし、若年性アルツハイマーになって、本人の意思がわからないかもしれない。
でも、回復の見込みが無い状態になった時、
苦しく生きるより、
安楽死を選択してあげたいな。
医師の処方無しで薬が手に入る仕組みが必要だと思うんです
あの病院、いつもすいててさあ、すぐ薬もらえるからいいんだよね…。
なんていう病院あります?便利ですよね。
いやいや
医療保険は国民のお金で、運営されているだから、薬を出すだけの病院はいらないと思うのです。
日本は病院が多すぎる。
多ければ、手厚い医療が受けられるわけではないんです。
医者は非常勤が多いから、コロコロ変わる。患者を継続してみれる人がいないことが多いです。
薬は医者が処方してくれるものでしょ?
自分で薬のことを考えるなんて怖い!
いやいや、いつも処方してくれるとは限りませんよ。
それに、本当に適切な薬を処方されるのかもわかりません。
末期患者様しかり、知的障害のご利用者様しかり、もっと、適切な薬があれば、もっと楽に過ごせたのかなと思うことがありました。
今はネットで検索できる時代
薬の知識を一人一人が持って、堂々と医師に提案してもいいと思います。
さらに、議論を進めて、
オンライン薬局で、自分で購入出来る様になるといいです。
ネットショップで海外輸入できる薬くらいは、
国内で購入できるようになればいいです。
管理が必要な薬でも、持病で継続して飲む必要がある薬に限っては、処方箋の期間1年とか長くして、オンライン薬局で頼めるようにすればいい。
今は、コロナが流行している緊急事態なんです。
なんで、ステイホームで国民の生活は大きく変わるのに、医療の仕組みは大きく変えないんでしょうか?医療が先では?
病院に来ない仕組みができれば感染が予防できる。
緊急事態に飲食店を止めるくらいなら
医師の処方無しで、薬が処方できる仕組みを作った方がいいと思うの。
自分の責任は増える
でも、自分の命は自分のものだ。
今のままだと、
施設や医者によって、自分が使える薬が違っていて、苦しむことになるかもしれない。
障碍を持っていれば、さらに医療処置が限られるかもしれない。
健康な人でも、コロナにかかれば、医療をうけられないかもしれない。
持続化給付金を増やせば、国の借金が増える。
増税になれば、生活が苦しくなる。
今も国民の生活は苦しいのに、緊急事態で1番変わるべき医療がなぜ、変わらないんだろう?
ネットで薬を管理できれば、
どこにいても薬を平等に得ることができる。
個人が1ヶ月に使える薬の上限を決めれば、
病院をはしごして悪用する人を減らせる。
医療費の節約になる。
薬を処方するだけの病院が減れば、医者の仕事は減ります。
その分医者をコロナ患者に回せばいい!
コロナ患者がみられる病院が増えれば経済が動かせる!
失業者も減る!
救われる命が増えるんだ。
薬を処方するだけの病院
末期の老人をチューブにつないどくだけの病院
どちらも、コロナ患者はみれません。
緊急事態に合わせた医療をしていく必要があると思います。
そして、一人一人が薬について考えることができれば、いいな。