介護殺人を防ぐために合法化された安楽死を

障碍を持った家族の介護をしていました。
難病指定になっている病気で
身体が動かなくなって
認知機能も低下していく

進行性の脳の病気でした。


小学生の時から、介護を少しずつ
手伝いました。


成人してからは、キーパーソン(主介護者)になり、その人の代わりに社会的な責任を負うことになりました。


要介護5で施設に入るまで、在宅でみていました。


障碍者の家族の足が悪くなれば、車いすを押しました。
手が悪くなれば、代わりに家事をしました。
認知症になれば、徘徊につきそい、責任を負うことになりました。
食べること、排泄することに介助が必要になりました。


自分で生きられない誰かのために、 自分の体全部を捧げなければならない。


障碍者の家族は、
「死にたい」と何度も言った。
死なせてあげたかった。


でも、犯罪者になるわけにはいかないので、がんばって介護した。

 

 


でも、ダウン症の子供を産んで思う。
介護による心の傷は
大きかった。

 

私の根底に、介護に対する怒り、苦しみながら最後まで生きた家族の悲しみそういったものがある。

 

もちろん、楽しい思い出もあるのだけれど。

 

 

 

 

安楽死に反対する人は言うだろう。
障害者と共に生きることで、 あなたは障害者から素晴らしい経験をさせてもらっているのだ。

 

 

私の実体験は、違う。
みんなが遊んでいた時に、介護をしていた。
家にいれば、家族の奇声が響いていた。

物を投げ、壊して暴れている家族がいた。尿や便が滲み出たズボンをはきながら、 家の中を這いずり回るので、絨毯はシミだらけで、 匂いが染み付いていた。

人間関係も変わった。

 

 


いなくなって、普通じゃないことにやっと気がついた。

 

 

安楽死反対の人たちはいうかもしれない。

障碍を持った人が、家族の負担を負い目に死にたいというのは、家族の関わり方が問題だ!

社会福祉サービスが足りないからだ!

家族の負担を理由に、障害者が安楽死させられるなんて、殺人だ!

優生思想だ!

滑り坂だ!

 

でも、出来ないんです。

だから、安らかに死にたいと言う人がたくさんいるんです。

 

もし、それでも、生きると言うのなら、

家族が希望すれば施設に入所できる仕組みを整えて下さい。

 

障碍を抱えた人が負い目を負わず、苦しみを取り除いてもらいながら、死にたいと決して思わず、過ごせるようにして下さい。

 

家族が普通に暮らせるようにして下さい…。

 

経済的な負担にならないようにして下さい。

 

だからといって、国の借金を増やしてはいけません。

国の借金が膨らんだ国は、外部の言いなり経済の奴隷になるか、戦争に引きずり込まれて、若者が犠牲になった。子供たちを殺すべきではない。

 

現実は、社会保障は膨らむ一方で国は借金を増やし、障害者施設は足りない。

苦痛を和らげるための薬も手に入らず、苦しんで生きる障碍者がいる。

家族は、責任を押し付けられて、疲弊して介護殺人が起きる。

 

中途半端な誰かの理想や

団体の利権のために

じわじわ苦しめられながら生きている人がいます。

 

安楽死を合法化してほしい。

 

本人が安楽死を望めば、安楽死ができるようにしてほしい。


認知機能障害があって、安楽死の判断できないのなら、 家族に判断を委ねて欲しい。

 

一つ一つの案件を安楽死できない理由として否定的に捉えるのでは無く、

 

障害者本人の苦しみ、家族の苦しみ、社会の負担から総合的に安楽死をかんがえてほしいな。