NIPTと安楽死が必要なわけ  私とあなたは違う意見を持って生きている

先天的な疾患にしろ、
後転的な疾患にしろ、

障碍を持って生きるという本人の負担、

それを支える家族の負担、

社会の負担、

それらを考えた時、

それでも、生きろというのは、

『苦』

です。


人生は苦

ブッタが言った時代から、変わらずに

苦の中で生きている。

健康な人には考えられないような苦の中で

生きる人に対して

安楽死という選択ができることは

救いだと思います。

殺人や冷やかしで、命を軽視していることは違う。

認知機能が低く、死にたいと言えずに

苦しんでいる人には

身近にいる家族の判断が必要だと思います。

個人、家族単位で安楽死を選択できる制度は必要だと思うのです。


また、NIPTでわかる疾患は

まだ、国によってもばらつきがありますが、

社会の中で、自立して生活することは難しい疾患。

治療方法もない。

日本経済を考えれば、一生涯、今の社会保障が続く保障はない。

苦で満ちた人生を
送る可能性が高いのです。

子供の人生を考えれば、
親であれば、
堕胎したいという人がいて当然です。
これは、残酷なことではなく、
親の愛情による行為です。

日本でも、障碍を理由にした堕胎を
認めて欲しい。

全妊婦が公費でNIPTを受ける権利を
認めて欲しい。


私とあなたは違う

障碍がわかっても、育てる人がいるし
障碍がわかったら、堕胎する人もいる

どちらも、愛情だと思うのです。

 

そして、家族による安楽死が認められれば、

障碍があっても、産んであげて、親が出来うる限りの喜びを子供に与えてあげた後、苦しむことの方が多くなったならば、家族が見守る中で安楽死を選択してあげられるのです。

 

堕胎も安楽死

ある人から見れば殺人と考えるかもしれません。

でも、私は

苦しみから救うものだと思うのです。

 

私とあなたは違う。

苦しみの多い世界の中で

自分の命くらい

望み通りにして

生きられる世の中になるといいな。